『ターミナル』
脚本に強烈な個性と一貫したテーマを織り込み、監督の如何に依らず明確に自分のトーンを打ち出して来るA.ニコルと、魅力的な場面演出の為にしばしば脚本を変更し時には全く別種の映画に作り替えてしまうS.スピルバーグ。二人の個性を知っている観客にとっては、『ターミナル』という映画は"過度に自己主張する脚本"と"脚本を軽視する演出"の覇権争いにもなるのではないかと思われました。
ところが実際に出来上がった映画は、ニコル特有のテーマとキャラクターが最大限に活かされ、しかも尚スピルバーグの持ち味である場面演出の昂揚も随所に見られる、理想的な相乗効果が確認できるものとなりました。両者の潰し合いを懸念した観客にとっては、これは実に嬉しい結果です。
ニコルによる大筋は、これまでの彼の作品の延長線上に位置するものです。国境の狭間にある空港トランジットエリアに閉じ込められたヴィクトル・ナヴォルスキーは、出入国管理と言う「システム」に翻弄される人物として登場します。そして彼は、それまでの彼の映画の登場人物 - 『ガタカ』のヴィンセント、『トゥルーマン・ショー』 のトゥルーマン、そして『シモーヌ』の"シモーヌ"その人 - の如く、システムの処理体系を逸脱し、独自のシステムを作り出し、ついには既存のシステムを打ち負かして「その外側に脱出する」に至るのです。
それを可能にする最大の武器が、例によって「個人の胸の裡にある純粋な願望」にある、というのもニコルらしい。彼の物語には、常に「システムに呑まれ流されて行く事へのエクスキューズ」が存在しますが、同時に流されまいと抗う力は個人の内にしか存在せず、しかもそれは予想外に大きい、という希望に満ちた示唆も含まれています。
『ターミナル』においてもそのメッセージは健在。目的を達成する為に必要とあらば何ヶ月でも空港に居座り続けるビクターに感化され、「人が通り過ぎるだけの場所」であった筈の空港とそこに居る人々が徐々に姿を変えて行く様は、殆ど聖人がひとつずつ奇跡を為して行く様な昂揚を伴って描かれています。
ただゲートを抜けて行くだけの人々にも固有の生活があり心情がある、という当たり前の事が、旅客管理という言葉の元では常に無視され続けます。そのような場所において、一人通り過ぎる事無くその場に立ち止まり、「生活」そのものを見せつける事で自己主張するビクターを配する事で『ターミナル』は、ゲートを抜けて行く個々、またはゲートの背後にいる誰かを蔑ろにする「システム」そのものに疑念を投げかけているのでした。
そうした脚本の意を汲み取って、監督スピルバーグの持ち味が十全に発揮されます。元々彼の作品は常に"群像劇"の側面を持ち、例えば派手なエフェクトや大掛かりなアクションを駆使した場面においてさえ、主要キャラクター以外の登場人物までも過剰に描写し、必要以上の個性を与えてしまう事が常でした。そうした彼のスタイルが、空港のあちこちに配された人物の、普段は隠された"顔"を炙り出す事に効果的に作用していました。
空港職員グプタの隠された過去や実らぬ恋に流され続けるアメリア、ビクターがシラノ役を買って出る事務官ゾイと配膳係エンリケの恋物語はその筆頭。本来脇筋であるはずの彼等の描写は、映画が進むにつれて(本筋である筈の)ビクターの空港生活と同等かそれ以上の比率を割いて描かれます。
彼等のみならず、その他の空港職員や警備室の名も無き面々にまで、スピルバーグは時にクローズアップまで多用して、その個性と感情の描写に努めます。そうする事でいつのまにか、ただ一人特異な存在であった筈の、ビクターという人物の"顔"が、その他大勢の"顔"の中に埋没し、無個性な人々の集団が「多様な個性を持つ集団」へと変貌していくという趣向。
ともすれば主要人物の配置のみに拘りすぎ、彼等を取り巻く群像を軽視するきらいのあるニコルの脚本を補って、スピルバーグは注意深く群像に厚みを与え続けます。そうした仕掛けが開花するクライマックスが圧巻。
JFKのトランジットエリア中央に位置する、交差するふたつのエスカレーター。映画の序盤ではビクター一人が右往左往していたこの場所が、映画の最後に至ってはビクターを先頭とする大集団が出口に向かって歩を進める行進路へと変貌します。
そこを進むのは今や無個性な「システムの構成物」ではなく、それぞれの主張と意思を持った人々です。ビクターの「為すべき事を堂々と為す」という、見方によってはごく当然の行為が、為すべき事を諦め流され続けた人々を感化し、同時に彼等を見る私達観客の視点を翻してしまう一瞬。物事の様相を希望に満ちた方向に逆転させるA.ニコル特有の物語作法と、物語の登場人物に過剰な厚みを加味して行くスピルバーグの演出作法が、見事に統合された瞬間でした。
主演のT.ハンクスはいつもながらの名演。2004年の彼は、バーチャルキャラクターまで含めると3人の主演と4人の助演をこなすという忙しい年になりましたが、そのそれぞれで持ち味と個性を楽しませてくれました。
もう一人特筆すべきなのが、ビクターと対峙する警備責任者ディクソンを演じたS.トゥッチ。鬱屈した管理職を好演した彼の次回作はハリウッド版「シャル・ウィ・ダンス?」の竹中直人の役だそうで、その変貌ぶりが楽しみです。
The comments to this entry are closed.

Comments