『さよなら、さよならハリウッド』
長らく日本公開を待たされたW.アレン監督の最新作は、アルトマンもかくやと思わせる程のハリウッドへの揶揄と諦観に満ちた風刺劇。しかもそれが、彼が度々陥るダークサイドからではなく、好調な時の彼特有の「良質な喜劇」として描かれている事が嬉しい。
「別れた妻のお情けで得た久々の映画作品でヒットを飛ばさねばならない」という、芸術性とも表現への意欲とも全く無縁なプレッシャーのお陰で一時的な盲目になってしまう映画監督の物語を、アレンはお馴染みの諧謔と毒舌を散りばめつつ、しかしあくまでも「コメディ」の体裁を忘れずに、一遍の小咄として纏め上げてくれました。
それは以前『地球は女で回ってる』の中で披露した、"自分の姿が見えなくなってしまった男"の裏返し。哀調の方が強かったあの時とは打って変わって、今回は"他者から見た自分"という虚像に寄りかかり、狼狽えながらも名監督を演じ切ってしまう顛末を、スラップスティックすれすれの話術で楽しませてくれます。
映画製作に題材を取ったコメディとしては恐るべき事に、この物語に登場する人々は、誰一人として映画に対する愛情も信頼も持ち合わせていません。代わりにあるのはキャリアに対する執着と、経験や技能を言い訳に取り繕った"才能"にしがみつく保身のみ。主人公の映画監督にしてからが、ハリウッドに返り咲く為には盲目のまま映画を撮り編集し公開する事に一片の後ろめたさも感じない始末。
そうした物語に対して怒りや不快感を覚えず、むしろ彼等に対して好感すら覚えてしまうのは、「もともと映画などその程度のものだ」という、アレンのメッセージが充分な説得力を以て届けられているからなのでしょう。
実人生に降り掛かる様々な出来事に比べれば、2時間のフォーマットで描かれる体裁の整った出来事など、"目を瞑ってやり過ごしても何等問題ない"程度のもの。我々の短い人生にはもっと目を向けるべきものがある、という主張には、如何なシネフィルとて同意しない訳にはいきません。その"目を向けるべきもの"が、我々の身近な人々であると明言されてしまっては尚更です。
そうした意味で、映画の中でヒチコック監督の『汚名』に言及しているのは、その撮影現場でどんな言葉が取り交わされたかを知る者に対する目配せなのでしょう。そこにかけられる熱意や愛情を含めて「"たかが"映画」と言い切れるのは、熱意や愛情を十分に映画に注ぎ込んで来て尚、それ以上に大事なものの存在を知っている者にのみ許される特権です。アレン監督は紛れもなく、そうした特権の持ち主でしょう。
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