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September 21, 2005

『チャーリーとチョコレート工場』

驚く程素直に笑い、楽しむ事のできる良質なおとぎ話。ティム・バートン監督がこれだけ奔放にイメージを展開し、しかもバランス感覚を維持したままでいられるとは思いませんでした。

これまでの彼の諸作では、「どこまでも肥大する空想」と「シンプルに物語ろうとする話術」が相争い、一方が一方を無理にねじ伏せてかろうじて物語の体裁が整うのが常。前作『ビッグ・フィッシュ』辺りからバートン監督は、ようやく両者のどちらにも枷を嵌める事無く、当分に語ってくれる様になりました。それは彼の話法の進化というよりも、彼の精神が熟成した故なのかも知れません。それが彼のこれまでの持ち味を些かも減じていない事がまた嬉しい。

『ビッグ・フィッシュ』の時と同様、本作でもバートン監督が"投影すべき自己"のキャラクターは逆転しています。チョコレート工場の秘密に魅せられる立場のチャーリー少年は劇中もっとも思慮に長けた"大人"。殆ど老成といっても良い位の落ち着きと気配りを見せてくれる少年です。

一方チョコレート工場の主ウィリー・ウォンカは、どこまでも"子供"として登場します。実体はひどくグロテスクな物である「童心」の権化として、彼と彼のチョコレート工場は存在し、そこに童心の持つ最良の部分だけを抽出すべくチャーリーが遣わされる、というのが本作の趣向。

理解されない子供が「理解されない子供」そのままに存在を主張し続けた以前のバートン監督作品に対して、本作では子供を取り巻く家族の助けを以て初めてチャーリーとウォンカ氏二人の夢が成就します。理解を求める必要性と、それが「得られる"かもしれない"」という可能性をバートン監督が認めた事、そしてそれが映画を少しもマイナスの方向に引っ張っていない事が、古くからのファンとしては嬉しい所です。

尤もそうした裏側の話は、余り本作の楽しさとは関係ありません。あくまでも「夢のチョコレート工場」の奇想天外な仕掛けの数々と、そこで繰り広げられる度の過ぎた悪戯を楽しむのが、この映画の正しい楽しみ方でしょう。

そこでの最大の立役者が、皆が同じ顔の"ウンパルンパ族"の面々。チョコレート工場の専属従業員、というよりは専属歌劇団とも言うべき彼等が、事あるごとに披露するミュージカルナンバーが本作の一番の見物になります。

今回も音楽を担当したダニー・エルフマンはここでは著名な映画音楽家の彼ではなく、オインゴ・ボインゴのリーダーとしての素の顔に戻り、次々と名調子を繰り出してくれます。MGMミュージカルから始まってMTVの時代まで、様々なスタイルの再現が実に楽しい。劇中で展開される大騒ぎ(歌と踊りは、決まって「悪い子」の一人が悲惨な目に遭う時に始まります)と、その周囲でにこりともせずに踊り続けるウンパルンパ達。相当にシュールな光景を、エルフマンの曲が圧倒的なスペクタクルに作り替えてくれました。

『シザーハンズ』のクッキー製造機がグレードアップしたかの様なチョコレート製造ラインの接写で始まる本作は、これも『シザーハンズ』同様、人口の雪景色の中で終わります。過去のバートン作品の中でも最も哀しく切ない結末だったあの映画と今回が違うのは、雪景色の中の崩れそうな小屋には愛情溢れる家族が8人も住んでいる事。他者を受け入れる事と、その中で自己を保持する事を遂に両立させたバートン監督の凱歌にも思える幕切れでした。

チャーリーの祖父の一人を演じたのは、『ウェイクアップ・ネッド』では裸でオートバイにうち跨がったD.ケリー氏。軽快なダンスまで披露してくれる健在ぶりが実に嬉しい。彼を含めて4人の祖父・祖母が実に良い味わいで映画をもり立ててくれました。

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Tracked on September 25, 2005 09:00 PM

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