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September 03, 2005

『バタフライ・エフェクト』

映画の冒頭に紹介されるのはカオス理論の要約ですが、本作から私が連想したのはやはりタイムパラドックスを扱ったR.ブラッドベリの『雷鳴の轟く音』。一匹の蝶から世界が破滅する傑作短編の方でした。

本作『バタフライ・エフェクト』では世界の破滅こそ描かれませんが、誰にとってもそれに伍する重みを持つ"身近な人々の破滅"が、より一層の哀切と悲壮感を持って語られます。愛する誰かを失う事は、愛していた当人にとってはそれこそ世界の崩壊に相当する出来事。出来うるものなら過去を塗り替えてでも彼/彼女を取り戻したいという願いには大きな説得力があります。

そうした「戻ってやり直したい」という願望を、偶々やり直せる能力を授かってしまったが故に実行に移し、際限なく泥沼に嵌り込んで行く主人公エヴァンの姿を、映画は様々な状況のヴァリエーションを提示しつつ丹念に追って行く事になります。

ピンポイントの軌道修正が実際は思わぬ所に波及し新たな現在へと跳ね返って来る、という繰り返しは、SFの世界では古典的な展開です。それは時に、繰り返す主体に身勝手なものを感じさせる要因ともなってしまいますが、本作ではその動機の中心に"最愛の人を救いたい"という無理からぬ心情を据え、観客の共感を繋ぎ止める事に成功しました。そうした方向性はまた、幾度も繰り返される出来事に、単なるヴァリエーションの面白さだけでなく、ある種の切実さを付加する事にも成功した様に思います。

分岐次第で全ての人が幸せになるハッピーエンディング等精々ゲームの世界にしか存在せず、ひとつの幸福は必ずどこかで幾つかの不幸を作り出す。それは残念乍ら真実の様で、優れた時間ものSFでは必ずその真実と、真摯に向き合おうとする事になります。

本作『バタフライ・エフェクト』においては、それは主人公エヴァン自身の決断として描かれました。如何なる分岐を辿っても幼い頃の恋人ケイリーを救う事が出来なかったエヴァンは、様々なヴァリエーションの中で常に不動の要素であった、"自分自身"を排除するという決断に至ります。

「彼女と共にいたい自分」ではなく、「彼女」の幸福のみを目的に据えた時初めて善人が傷つかず誰も不相応な辛苦を背負い込む必要の無い世界に辿り着く。幼い頃の約束、「I'll be back "for you"」を字義通り果たす事で、約束した当人には何一つ残らないという結末は、安堵とともに大きな哀感を感じさせるものでした。

映画はこの時点に至って、リプレイの特権を与えられた男がそれを活用する物語ではなく、誰かの為に何かを諦める自己犠牲の物語へと巧妙に立ち位置を変えています。それは特殊能力の有無にかかわらず、日々私達が直面し続けているお馴染みの葛藤。映画はそうした葛藤が実は大きな意味を持ち、時には崇高とも言える意思の元で解決される事もある、という事を改めて示し、同時に将来へのささやかな希望までも提示して締めくくってくれました。

ある種の優れたSFの例に倣い、本作も空想の領域にストーリーを置きながら普遍的な事柄を語り、最期には我々自身の問題へと回帰します。デジタル映像の氾濫のおかげでSFというと派手な大作と言う風潮がますます強まる中、久々にアイディアとその用い方で勝負する傑作が登場してくれた事は、昔からのSF映画・小説のファンとしては実に嬉しい事でした。

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