映画を巡る事柄:「漢字バトン」表意の遠いご先祖様
相変わらず"バトン"の類は日本のweblog間を飛び交っている様で、交流の少ない私の所にも時折やってきます。以前musical batonをいただいたkanameさんから、今回は「漢字バトン」なるものが届けられました。
前回同様、頂いたテーマを「映画」と結びつけて考えてみます。
■1.前の人が出題した漢字に対して自分が持つイメージは?
kanameさんからは、[映][瞬][止]の3語をいただきました。
[映]
勿論「映画」の「映」ですが、それはもっと広義には「何かを照り返している様」を表します。
スクリーンに照り返す写実像に留まらず、例えば演出は脚本の照り返しであり、演技は演出の照り返しであり、観客の喜怒哀楽もまたスクリーンに像を結んだ映画の照り返しでもある訳です。
だから私は、映画というものに(ひいては「映す」「映える」という言葉に)延々と続く関係性の様なものをイメージする事が多い様です。
[瞬]
映画というものは煎じ詰めればパラパラマンガ。1秒24コマの「瞬間」の集積でしかありません。
従って優れた作品は、いかなる場面の如何なるショットにおいても、ある目的に沿った「瞬間」を掴み差し出す為に構築されます。
そうして造り出された瞬間と、瞬間に至る道筋こそが映画の本質であり、観客である私達に届けられる最上の贈り物なのでしょう。
私がイメージする「瞬間」は、過去幾つもの映画がくれた幾つもの"贈り物"に他なりません。
[止]
ストップモーション、という技法があります。画面の中で全てが静止している所謂「"止め"の絵」を指す言葉。
実は3秒の"止め"を実現する為には、同じ一枚の映像を、72回繰り返しフィルムに焼き付け直す行為が必要です。そうして初めてパラパラマンガの中に「動かない3秒の"瞬間"」が実現する。
常に流れ続ける時間の中で、静止を表現する為にはそれだけの膨大な時間と労力が必要なのです。
私が「止」という文字の中に見るのは、そうした力が裡にぎりぎりと撓められている、文意とは正反対のイメージです。
■2.次の人に回す言葉を3つ。
[絞] [流] [壊]
私にとっては映画を語る時に便利な言葉。さて他の方にとっては・・・。
■3.大切にしたい漢字を3つ。
私自身には特にそうした言葉は無いので、代わりに誰かが昔大切に扱った漢字を3つ挙げてみます。
[割][刻][繋]
これらは何者かというと、日本語でフィルム編集の話をする時に頻繁に使われる言い回しです。
曰く「カットを割る」「カットを刻む」「カットを繋ぐ」。
編集とは「瞬間」の集積を分類、整理し独自の流れを生み出すものですが、場面が何を目指すかによって様々に手法は変わります。
連続した流れを断ち切る事で受け手の注意を喚起する、ひとつの流れを複数に分断しリズミカルに構成する事で情動を操作する、別種の流れを融合させひとつの大きな本流へと導く、等々。
英語がひとしなみに"cutting"で済ませてしまうこの様々な技法が、日本語の世界では具体的な目的を持った具体的な言葉に昇華されています。使い出したのが現場の人か外部の批評家なのかは判りませんが、秀逸な言語化だと常々思っていました。
■4.漢字のことをどう思う?
映画の最小単位がひとつのショットであり、それを構成するのが役者や風景やイリュージョン等だとすれば、
また音楽の最小単位がひとつのフレーズであり、各々の楽器や肉声がそれを形作る部品なのだとすれば、
「漢字」というものもまた、幾多の文学作品を分解し続けていった時に現れる最小の構造物なのでしょう。
それは精緻かつ精妙な構造物でありながら、同時にそれを操る誰かがいなければ単なる記号でしかありません。
記号を巧みに操る作家について考察する時に、初めて「漢字を考える」事は意味を持つのではないでしょうか。
■5.最後にあなたの好きな四字熟語を3つ教えてください。
殊更に金言や座右の銘を持たずにこの年まで来てしまったもので、残念乍ら特に思い入れのある熟語というものも持ち合わせていません。
「起承転結」というのは物語作法の基本の様に言われていますが、思い返すと私の好きな映画達は悉くこの作法を守っていない様で・・・。
■6.バトンを回す人7人とその人をイメージする漢字を。
あちこちのweblogがバトンばかりで溢れてしまうのは勿体ないので、お渡しする方は一名とさせて頂きます。重ねて申し訳ありませんが、このバトンはmixiに潜ります。
[凛]miwax さん
一本芯の通った佇まいというものは、智慧と自信の裏打ちが無ければ実現しないもので、そういう人にこの種の質問を投げると知的興味と意外性の両方が楽しめます。お手数ですが宜しくお願いします。
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