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March 05, 2006

『ジャーヘッド』

私の知っている範囲では、湾岸戦争を扱ったハリウッドメジャー映画は本作『ジャーヘッド』を含めて3本のみ。部隊内の将校殺人事件が主題の『戦火の勇気』を除外すれば、戦争終結後10年を経た今でさえ、『スリー・キングス』と本作の2本だけが、湾岸戦争と正面から向き合ったハリウッド映画、という事になります。

それほどにハリウッドがこの戦争を忌諱する理由もまた、この2本を見れば合点が行きます。それは最後まで敵と味方が向かい合う事無く終わった戦争であり、最初から石油利権の確保が最終目的である事が知れ渡っていた戦争であり、バクダッドボーイズがイランから中継した以上の「絵」を提供する術の無い戦争でした。要するに湾岸戦争には物語が無く絵が無かったのです。

いきおい湾岸戦争を舞台にとった映画は戦争そのものではなく、不在の戦争と直面せざるを得なくなった「戦争する為だけに存在する者達 = 兵士」の心の裡に分け入っていかざるを得なくなります。

『スリー・キングス』では、そこに登場する兵士達は"幸運にも"闘う理由と闘う機会を見つけ出す事が出来、彼等なりの戦争を始め終わらせる事に成功しました。それでは、そうした機会を見出す事無く砂漠に送り込まれまた送り返された個々の兵士には何が起きたのか。それを克明に描き出していくのが本作『ジャーヘッド』です。

罵倒と答礼と奇妙な掛け声が飛び交う、『フルメタルジャケット』以来お馴染みとなった導入部を見ても判る通り、軍隊というのは異常な世界です。生に執着し生を長らえる事が至上とされる我々の社会に対し、「生を終わらせる」事を第一目標とする軍の世界においては、その構成員は当然既存の論理と価値観を捨て、新しい論理と価値観を身につける事を強いられます。そのようにして「作り替えられ」、一般人の社会と隔絶された兵士達にとっては、否応無く軍隊の作り上げた閉じたシステムに恭順せざるを得なくなります。

しかし、その様にして造り出された兵士達から、既に「戦争」は取り上げられています。砂漠に送り込まれた兵達は闘おうにも闘う相手をどこにも見出せず、上層部から延々と待機と訓練ばかりを命ぜられ、ようやく戦闘開始を発令されても撃ち合いらしい撃ち合いは最初の半時間、すぐに戦争の主役は空爆とミサイル攻撃に取って代わり、またたくうちに兵士の眼前から「戦争」は遥か彼方に遠ざかっていきます。

言ってみればそれは、兵士達と兵士達を造り出したシステム自体を否定する行為です。戦場においてしか発揮できる自己を持たず、しかしその戦場で発揮すべき自己を完全に否定された時、兵士達はその存在の保証を、彼等を造り出した「軍」に頼る以外に術を持ちません。しかしその「軍」自体が彼等を否定しているという冷徹かつ滑稽な事実。

これだけは現実に存在する砂漠の過酷な環境と生命の危険、燃え上がる油田と石油の雨という異常な光景の中を"無駄に"行軍していく彼等には、彼等自身の無意味さを受け入れ、ただ異常な世界に身を置き続ける事そのものに意義を見いだす以外に正気を保つ術がありません。それが正気と呼べるなら、の話ですが。

だからこそ彼等は、戦争が終わると同時に彼等が最期の砦に選んだ「異常な世界に身を置く自己」までも取り上げられ、途方に暮れる事になります。もはや作り替えられてしまった自分は正常な社会に居場所はなく、戦地ではなくなった砂漠に留まる事も許されず、内地で軍隊ごっこを続ける事も認められない。心だけが砂漠に取り残され外面のみ一般人を装った大量の抜け殻を作り出したのが、一兵卒から見た湾岸戦争の実態だったのだ、と、最終的に映画は結論づけます。

空虚へと至る物語に観客が見出すべきは、そこに送り込まれ、待ち続け、何もなさぬままに送り返された兵士達の、焦燥と放心を共に感じ、共感を以て応える以外にないのでしょう。そして彼等の焦燥と放心を曲がりなりにも理解した時、現代の戦争が旧来の戦争から剥ぎ取ってしまった欺瞞の最期のひとかけら、「本来あるはずのないヒロイズム」の姿が見えて来ます。

戦争映画や小説で繰り返し語られて来た戦地のヒロイズムとは、結局はそこで闘う兵士個々人がその場で作り出していたものであり、とすればそれは「戦争の存在」を条件としたものでも何でもない、だからこそ兵士個々人に戦争が与えられない現代戦においては、そこには物語の原動力たるヒロイズムは欠片も存在しない、という事になってしまいます。

それが現代戦のみならず戦争なるものの実相であり、私達がどうしても認めたくない事項のひとつなのでしょう。大量の生死を賭して行われるものには、矢張りどうしてもそれに見合うだけの何かを求めてしまうものです。

『ジャーヘッド』はあえて兵士達と私達観客達の「焦燥と放心と無意味な殺戮」に"見合うもの"を取り上げてしまい、最期まで購わずに通す事で、その事を徹底して再確認してみせた様に思いました。

S.メンデス監督は演劇出身らしい的確な心理描写の積み上げと、演劇出身ゆえに熟知している「映画でこそ可能な表現」を駆使して、あるひとつの部隊が一般の価値観を捨て去り、部隊の中だけでしか通用しない論理と社会規範を積み上げ、終盤に至って唐突にそれを取り上げられてしまう過程を、どこまでも突き放した視点で描き出してくれました。昨今の英国演劇界出身の映画監督は俊英揃いですが、その中でもメンデス監督は一歩抜きん出た演出術を楽しませてくれます。

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Posted by: campervans | February 28, 2015 08:40 PM

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Tracked on March 26, 2006 02:43 PM

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