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May 06, 2006

『ナイトウォッチ』

現代社会の裏側で正邪の対立が連綿と続いている、という設定が人を惹き付けるのは、ある程度の規模を持つ社会では不変のものの様です。『ファウスト』に始まり『コンスタンティン』に至るダークファンタジーの作品群に、今度はロシアからの作品が連なりました。

正直に言って、同工異曲の作品が群れ成すハリウッドで揉まれて来た『コンスタンティン』や『アンダーワールド』と比べて、この『ナイト・ウォッチ』はもうひとつ垢抜けない。ロシア国内ならば"ロシア人がハリウッド並を仕上げた"事に意味を見出せるのでしょうが、残念乍ら極東の我々にとってはそうした意味を持ち得ません。勢い、観客としては記憶の中の「かつて観た映画の中で繰り広げられた同様の場面」を思い起こし、『ナイトウォッチ』のそれが見劣りする事にどうしても気付いてしまいます。

どうやらハリウッドの現場で学びロシアに凱旋したティムール・ベクマンベトフ監督にとって、この映画は「学んで来た事を披露する場」でしかなかった模様。斬新とかスタイリッシュと喧伝されたこの映画の如何なる場面を切り取っても、そこには斬新さやスタイルの妙を見つける事は出来ません。

しかし、そうした「疑似ハリウッド」の部分を全て削り落とした残りの部分に、映画『ナイトウォッチ』の魅力は充分に詰まっていました。それは、ロシアという"地域"とそこで培われた感性が、ハリウッド式映画作法の薄膜を突き抜けて物語と映像に波及する諸々の場面から見て取る事が出来ます。

それはアメリカでは持ちようの無い、又ヨーロッパでは正面切って映像化するには余りにも陳腐と思われている、遥か昔の土俗信仰と深く関わる部分が映画の骨子となっている事から来る印象なのでしょう。(預言ではなく)予言と呪術が世界を動かし、呪いではなく事象としての獣人の存在が認められ、光と闇の住人がひとつの共同体を為しているという世界観は、到底キリスト教下に在る文化では何等かのエクスキューズ無しに表現する事は出来ません。『ナイトウォッチ』の世界は、そうした窮屈な制約を軽々と潜り抜けた先で、活き活きと展開される事を許されます。

そしてそうした世界観は、日本に住む我々から見れば「荒廃」しているとも取れるモスクワの風景に、実にぴったりと嵌って見えます。殺風景な深夜の路上を闇の帝王がとぼとぼと歩き、突っ込んで来た車を無造作に弾き飛ばしてしまうという印象的な一場面も、例えばアメリカや日本が舞台なら余りにも唐突に感じてしまうでしょう。荒れ地の中にまるで古城の様にそびえる集合アパートや、何の粉飾も必要なく異界と見えてしまう屠殺場の佇まいなど、ロシアという国の持つ(我々から見た)"異質さ"が、そのままロシアという文化の"異質さ"として表され、先に述べた土俗的オカルティズムの格好の舞台となっているのです。

そのような視点で『ナイト・ウォッチ』を観てしまった私にとって、だから主人公アントンを巡る「結局は血筋に集約する」お馴染みの物語は興醒め以外の何者でもなく、専ら奇妙な文化と倫理観がどれだけ映像化されるかのみで本作を評価する、という、たぶん製作者側にとっては不本意な見方をする事になりました。

どうやら本作は3部作であり、しかも3作目はハリウッド資本により英語の作品となる模様。必然的に私が今回楽しんだ様な部分は巻が進むに従って薄れて行き、シリーズは陳腐なダークファンタジーの一遍として終了する事になるのでしょう。
それまでにベクマンベトフ監督には、シリーズが独自色を出す為には何を武器とするのが最善なのか、気がついていて貰いたいものです。

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