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May 07, 2006

『ヨコハマメリー』

私が未だ高校生の頃。今は亡き横浜東宝会館で映画を観た後、馬車道を挟んで向かいにあるディスクユニオンで輸入盤を漁ろうと待っていたエレベーターの中から、"メリーさん"が降りて来ました。初めて至近距離で接する彼女は思いのほか高齢で、まるで世間全体に喧嘩を売っているかの様に厳しい表情をしていた事を覚えています。仲間内では「伊勢佐木町の白い女」と呼ばれていた彼女とは何度かすれ違った事はありますが、最も印象に残っているのがその時の表情です。

進駐軍と娼婦と愚連隊だけで出来上がっていた頃の横浜、"メリーさん"が違和感無く風景に溶け込んでいた時代と場所を、彼女を通して呼び起こそうとする試みが、ドキュメンタリー映画『ヨコハマメリー』です。映画は彼女と彼女を知る人々、とりわけ晩年の彼女を支援し交遊を続けていたシャンソン歌手、永登元次郎氏を中心に、普段観光客が訪れない、地元住民も意識に留めず通り過ぎる街並の中から、今は影も無いかつての「ヨコハマ」を浮かび上がらせて行きます。

そこに映画が見出したのは、たぶん「戦後」そのものだったのでしょう。丸の内や霞ヶ関の意思決定とは無縁の場所で進行していた戦後、日々の糧にも事欠く庶民が如何に敗戦と向き合い、呑み込み、乗り越えて行ったかの軌跡が、そのまま伊勢佐木町の変転と共に語られます。メリー嬢のようなGHQ専門の娼婦達は、その象徴とも言える存在として、映画の中に登場します。

1960年代に観光都市として再興するまで、伊勢佐木町近辺は進駐軍の登場と共に活況を呈し、彼等の帰国と共に徐々に衰退していきました。彼等を客としていた娼婦達もまた、その趨勢と運命を共にし、売春防止法の施行と共に姿を消す事になります。

貧窮の中で羽振りの良い米兵を通して華美な世界に染まり、何の約束も無いまま彼等に去られた娼婦達は、それぞれに過酷な「後の人生」を歩んだ事でしょう。その顛末を、映画は単なる説明ではなく、当時を知る人々の肉声で、ディテールのみを語る事で浮き彫りにします。夜を徹しての娼館の賑わい、物資で溢れかえった外人専用ショップ、大桟橋での別れの光景と、歳月が過ぎても未だそこに佇む女性の姿。それは単なる歴史の講釈ではなく、「実際にそこにいた人々の振舞い」として、観客である私達に迫って来ます。

娼婦達が横浜を去った後、只一人「娼婦」として残ったのが"メリーさん"でした。不思議と映画の中でも他での見聞でも、後の彼女が客を取っていたという話は聞きません。彼女はただ、将校達と共にいた時代の生活を守り続ける事で、「娼婦として生きて来た自分」を主張し続けます。

身なりに気を使い、当時と同じ目立つ(けれども"派手"ではない)服装を纏い、街の目抜き通りや画廊、ホール、高級商店を闊歩する。芸術に関して抜群の目利きを見せ乍ら、身分を常に意識し表舞台には現れない。代わりに彼女の姿は、伊勢佐木町から馬車道へ抜ける一本道の、至る所で人々の目に留まる様になります。

映画はここでも、その頃の彼女を知る人々の言葉を以て、その姿を鮮明にしようと試みます。行きつけの商店の店主や従業員、街で見かけた人々、言葉を交わす「光栄を排した」ごく一握りの人々の言葉が、彼女と彼女がいた街の風景を作り上げて行きます。

地元住人の私としては、この映画の中ではその部分が最も感動的なパートとなりました。当時の横浜、もう進駐軍は去り普通の商店街として再生し切った横浜は、それでも「奇妙な風体の年老いたホームレス」を許容し、街の風景とする事に否を唱えなかった。本来なら排除されて然るべき存在を、横浜伊勢佐木町は懐に抱えて共存する道を選んでいたのでした。

横浜と言うのは移り変わりの激しい街です。黒船来航以来延々と、この街は新しい波に次々とさらされ、その波に染まり切る事で生き延びて来ました。ところが波が引いてみると、常に染まった色は横浜の風土と馴染み、いつの間にか「横浜の色」として定着している。何者も拒まず何者も引き止めない港町は、同時に過去に訪れた全ての記憶を内包して行く街でもあるのでした。

映画は、永登元次郎氏がリサイタル好演した際のVTR収録を紹介してくれます。アンコールで元次郎氏に花束を渡す人々の列に混じって認められる"メリーさん"の姿。彼女が何かの贈り物を元次郎氏に差し出し握手を受けた時、それまでの数倍の拍手が二人に向かって送られます。それはたぶん「ヨコハマ」がアウトサイダーの側にいる二人を公然と認めた瞬間だったのでしょう。同郷の者として、それはとても誇らしい瞬間でした。

たぶん横浜に限らず、"メリーさん"の様に娼婦の道を選び、娼婦としての自分を抱えて生涯を送った人はどこの街にもいるのでしょう。本作『ヨコハマメリー』は、"メリーさん"というとりわけ口伝に昇った1人を通して、そうした人々と、彼女達を受け入れ生活の一部と認めた人々に対する、控えめな賞賛の意思表示として作られたものの様に思いました。

"メリーさん"が横浜を去る顛末が語られた後、映画は最後の最後で、とても嬉しい驚きを用意して締めくくりとしてくれます。末期の癌に冒され乍ら地方の老人ホームに慰問に行く元次郎氏。これまで聞いた中で最も切ない"My way"を歌う彼の視線の先に、穏やかな表情で、歌詞のひとつひとつに頷き乍ら聞き入る老嬢の姿をカメラは映し出します。化粧を落とし人々の中に溶け込んだ"メリーさん"は、あの時私が路上で見た険しい表情とは打って変わった、実に柔和な美しい表情をしていたのでした。

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Comments

olddog先生、お今晩は。

題名も存在も知らない映画でしたが、「評論」と言う
よりも「回顧録」を読んで是非、この映画を観たく
なりました。流石に横浜迄はしんどいので新宿にて
鑑賞する事に致します。

Posted by: 大倉 里司 | May 07, 2006 11:26 PM

どこかで記事に紹介されていて、
気になっていた作品です。
olddogさんの記事を拝見して、やっぱり
観たくなりました。
時間を作って観て来ます。
ありがとうございます!

Posted by: 音去 | May 07, 2006 11:50 PM

大倉さん、音去さん、こんにちは。olddogこと杉山です。

なにしろローカルな題材の低予算ドキュメンタリー映画ですので話題にも上り難い作品ですが、構成の上手さとモチーフの魅力では、M.ムーア監督の作品にも伍する作品と思っています。

新宿では公開時間が朝晩に限られてしまう様ですが、シネコンでの展開も予定されている様ですので、予定が合う様でしたら観ていただけると嬉しく思います。

> 大倉 さん
当時の伊勢佐木町にあった活況と猥雑さは、なんとなく今の歌舞伎町が持つ活況と猥雑さに近い様に思います。私は地元民という事もあり「街」を入り口にこの映画に入り込みましたが、大倉さんはそこに登場する「人」から何かを見出してくれる気がします。

> 音去 さん
もしかしたら音去さんも以前"メリーさん"の噂は聞いた事があるか、実際に擦れ違った事があるかも知れません。呼び名は別のものだったかもしれませんが。

都市伝説の類の様に思われていた人物が、実際に血肉を伴って立ち現れて来る瞬間を、この映画では実感する事が出来ます。どこの国にもどこの街にも、忘れるべきではない"11月5日"が隠れていると言う事を感じて頂けるのではないでしょうか。

Posted by: olddog | May 08, 2006 06:23 AM

こんばんわ。西のヨコハマ、神戸出身ミノです。

歴史の光と影の、影の部分って、魅力的ですよね。
神戸も港町でヨコハマと似てはいるのですが、余り歴史の表舞台に出ないもので、ヨコハマはさすがにドラマティックです。

何年か前にヨコハマを歩いた時、街のつくりというより、空気が神戸に似ているなあと思ったことがあります。潮の匂いというか、なんかよくわからないんですけどね。

Posted by: ミノ | May 08, 2006 10:33 PM

ミノさん、こんにちは。杉山です。

不思議な事に、私は横浜と神戸では逆の印象を抱いていました。横浜は歴史の節々に名前が出て来こそすれ、神戸ほどの佇まいも物語も獲得していない様に思っていたのです。「隣の芝は・・・」という奴でしょうか。

港町というのは、常に外から何かを迎え入れ続けるという性格上、気風が似て来るものなのかもしれませんね。神戸にもたぶん、"メリーさん"の様な人や物語が埋もれている様な気がします。

Posted by: olddog | May 08, 2006 10:57 PM

やっとメリーさんを見ることが出来ました。

そして、やはり驚いたのは、私がやっぱり神戸の人間で、この映画に描かれている世界に、ものすごく親近感があることなんです。
別に神戸にこういった都市伝説があるわけでもないし、私は輸入版を探している時にそういう人に遭遇したわけでもないのですが、やはり登場する人物とか文化背景に、見覚えがあるわけなのです。どこかで見た・・という感じ。
だからまるで自分の街のフィルムを見ているような不思議な感覚でしたね。
95年。メリーさんがヨコハマから消えた年。震災で神戸からも古いモノは全て消えました。
消えた風景はそれっきり戻ってきていません。
神戸にたくさんいたメリーさん的な場所や存在も、同じように消えていったんだなあ・・と思いました。

Posted by: ミノ | May 30, 2006 12:34 AM

ミノさん、こんにちは。
別の場所に書かれた感想も拝見しましたが、かなり無理なスケジュールの中御覧頂いた様で、映画の関係者でもなんでもない立場ですが嬉しく思います。

"メリーさんの居場所"というのは、人と人が実利で結びつくだけではやっていけない事を自覚している時にしか、確保できないものなのかもしれません。映画の舞台となった伊勢佐木町も、今では新興商業地区に圧され、省みられない場所となりつつあります。

実利を度外視して大切にしなければならないものを忘れた時に、横浜は"メリーさん"を失い、逆に神戸は震災を経る事で、その事を改めて認識する事になった様に思います。

地元横浜ではこの映画は相変わらず満員御礼が続いています。一昨年の新潟地震の際、神戸からは驚く程の救援物資やボランティアの申し出が寄せられたと聞きました。

"メリーさんの居場所"を守る事の必要性は案外多くの人が感じていて、それは(例えばこの映画の様な)何かの契機に垣間見られる事があります。そうした心の動きが、消え去った物の変わりに何かを打ち立てて行くであろう事を、渦中にいる私達としては信じて行くべきなのでしょうか。

Posted by: olddog | May 30, 2006 05:59 AM

olddogさん おはようございます

レスが今頃になってしまいました。

>"メリーさんの居場所"というのは、人と人が実利で結びつく>だけではやっていけない事を自覚している時にしか、確保でき>ないものなのかもしれません。

最近、私は、おっしゃるような「人と人の間を結ぶもの」とか「実利について」を感じさせられることが多々あります。
仕事なんかで、そういう局面に出会うことがえらく多いのです。
しかし不思議なもので、実利と顔に書いてある人に出会い、そうだよな、人間やっぱ実利なしでは動いてくれないよな・・と絶望した翌日には、実利だけではないなあと思わせてくれる人に出会えたりと、世の中一色ではないのですよね。
それと、そういう人と人を結ぶものというのは、自分がどういう人であるかが、ものすごく反映しているのです。
頭で考えると、「そんなことできないー」なんて思っていても、案外目の前の人に対しては何かしてあげられたり、案外してあげれなかったりと、色々なわけで、人は聖人君子でもないわけなんですけど、それでも「なんかほっとけなくて」という感覚は失ってはいけないんですよね。
実利だけで人生や世の中が組み立てられていったら、それはそれでえらく味気ない、潤いのない世の中になってしまいます。
すみません。まとまりがなくって。
世の中という大風呂敷の前に、自分という人間がどういう人であるのかが大事なんやなあ・・と最近つくづく感じているミノでございました。

Posted by: ミノ | June 07, 2006 05:23 AM

ミノさん、こんにちは。

> 世の中という大風呂敷の前に、自分という人間がどういう人で
> あるのかが大事なんやなあ・・と最近つくづく感じているミノ
> でございました。

そういえばこの映画に登場する人々は、例外無く「自分」をしっかりと打ち立てた上で、そこから他者との距離を模索して行く人々でしたね。当たり前の様で中々難しい事だと思います。

実利の裏返しは決して博愛とか献身とかの類ではなく、様々な方向性を持った様々な人がそれでも共に同じ場所に立ち続けようとする意志の様なもので、その意志が言葉になると「なんかほっとけなくて・・・」になるのかもしれません。

それは多分、問題を抱えている他者についてではなく、「問題を抱えた他者の横に平気で立っていられる自分」を含んだ洞察なのでしょう。そう意味ではそれもまた(「"実"利」ならぬ)「利」の為せる技ではありますね。

神でも聖者でもない伊勢佐木町の人々が"メリーさん"を受け入れる事が出来、そして今後の私達がそうした環境を再び作る事の成否を握る鍵は、そのあたりにあるのかも知れません。

Posted by: olddog | June 09, 2006 05:45 AM

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