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August 21, 2006

『ローズ・イン・タイドランド』

『ブラザース・グリム』の製作が一時中断している間に一気に撮り挙げてしまったというT.ギリアム監督による本作は、メジャースタジオとの確執で不本意な仕上がりになった『ブラザース・グリム』よりもずっと監督の個性と主張がストレートに表現された、珠玉の一本となりました。しかしそれ故に本作に反発する人々も相当数いるだろう事は容易に予想できます。年を重ねてもギリアム監督、全く「丸くなる」気配も見られないのは、個人的には実に嬉しい。

夢想の力と現実の事象を対比させ、夢想が時に現実を討ち果たして見せる事を「証明」しつづけて来たギリアム監督ですが、やはり同じ事の繰り返しばかりで満足する気は無かった様です。本作で描かれるのは、ある一人の夢想が他者の夢想とぶつかった時に起こる化学反応と、互いの「生き残り」をかけた夢想同士の覇権争い。

それは言葉を変えれば心のサバイバル競争の様なもの。強烈な夢想の持ち主達がそれぞれの夢を押し付け合う状況の中で、私達にはなじみ深い"現実"が木っ端微塵に粉砕されて行く様が、『ローズ・イン・タイドランド』の醍醐味です。

映画の冒頭からジェライザ=ローズの家庭は既に崩壊し、父親と母親はドラッグの力を借りてそれぞれの夢の中に逃げ続ける毎日。ローズのイマジネーションは、異常で悲惨な生活の中で彼女自身を維持する為に駆使されます。それは丁度、"Time bandits"のケヴィン少年が両親の死を乗り越える為に作り上げた冒険譚や、"Brazil"の下級官吏サムが最後に逃げ込んだ理想郷を思い出させます。

私達の持つ世界の像というのは、結局私達それぞれが見た「世界の姿」を寄せ集めた最大公約数。それは他者との意思疎通の為に採用されたそれであって、決してそれが世界の「実相」という訳ではありません。摺り合わせる他者がいない時、または他者をも巻き込める程に強く世界の像を結べる時、世界の姿は如何様にも変異して行きます。

ジェライザ=ローズがその境遇と年齢の力で作り上げた「世界」は、空腹や腐敗といった現実すらも呑み込んで、全く様相の違う世界として彼女を取り巻く事に成功します。触媒となる4つの人形の首を従え幻想の「干潟」に君臨する彼女は、キャッチコピーでなぞらえられた様な「不思議の国のアリス」ではなく、むしろハートの女王然とした印象を観客に与えます。

そうした彼女の"世界"を浸食してくるのが、現実ではなく他者の持つ「異なる世界の様相」である点が、本作を過去のギリアム監督作品から思想的に一段押し上げ、物語的には先の見えない意外性をもたらした要因でしょう。

ジェライザ=ローズの隣人、デルとディケンズの姉弟は、それぞれにローズ以上に強固な夢想を以てローズの世界に介入して行きます。姉デルは"思い出と共存する"事を彼女流の直接的な手段と混濁させ、思い出で出来上がった"家族"の中にジェライザ=ローズとその父親を引き込もうとします。一方弟のディケンズは、彼の王国であった「海」での巨大鮫との戦いの日々に決着を付け、戻るべき「陸」をローズに見出そうとするのです。

特異な様相の世界に生きているとはいえ、その世界の中での因果律を規定できている者にとっては、全く別の因果律の介入は自己崩壊の危機を意味します。支配と被支配、保護者と庇護者の役割を通じてかろうじてバランスを取っていたデルとディケンズにとっては、新たにジェライザ=ローズの「世界」が干渉してくることは災厄以外の何物でもありません。二人はそれぞれに、ローズと彼女の世界を自身の世界に"取り込む"為の介入を始めます。

ローズにとっても危機は同様。悲惨この上ない彼女の"現実"から彼女を遠ざける夢想の力が、デルとディケンズにより打ち破られる事は、すなわち彼女自身の自我が打ち破られる事を意味します。自身の感受性の強さと、それが思いの外脆い事を本能的に自覚し、しかも現実の尺度に照らしてみれば彼女ただ一人で生きて行く事が叶わない事も察知しているローズは、自己の「世界」を二人の「世界」に同調させ、融合し、場合によっては相手の世界を塗り替える努力を開始します。

映画のたっぷり3分の1を費やして繰り広げられる三者三様の「意識の全面戦争」は実にスリリング。デルが家長としての自身のイメージを元に二人をコントロールしようとすればローズは愛玩物としての自身を演出し母性本能をくすぐろうとし、ディケンズの本質的な暴力性をパワーバランスの転換に利用しようとデルとローズが綱引きを演じる一方、二人の過干渉は否応無くディケンズを変質させ、二人の制御を離れ突出して行く、といった具合に、彼等3人は、それぞれの中では上手く機能していた因果律を徐々に狂わされ、その「世界」はどこまでもグロテスクに変容して行きます。

この時点に至っては彼等の「世界」が破綻し破滅する事はもはや必定。観客の興味は、そこから生還するのが誰なのか、生還した者が新たな「自分の世界」を作る事ができるのかに向けられます。

最終的に生還した者がジェライザ=ローズであった事は、別に主人公の特権でも何でもなく、それだけ彼女が自身の幻想を必要とし、他の二人よりも自身の感覚と不可分な「世界」を形作ってみせたからでしょう。デルとディケンズから様々な影響を受けながら、彼女は彼女の世界を自在に変容させ、しかも彼女自身で有る事を決して止めません。ほんの9歳にしてデルの裏をかき、ディケンズを"籠絡"しようとする彼女のしたたかさには、奇異や恐怖を通り越して喝采を送りたくなる様な力強さがありました。

ローズに「変化」を促されたディケンズは、素直に彼の物語に最終章を書き加えるべく、"巨大鮫"との最後の一騎打ちに挑み、姉弟のバランスを完全に破壊する事になります。彼等の破滅をも自身の世界に取り込みつつ、新しい登場人物と共に新しい幻想を構築し始めるジェライザ=ローズの姿で映画は終わります。暗転するスクリーンに、丁度チェシャ猫がにやにや笑いを残して消えるが如く彼女の双眸だけが消え残るラストショットに、ギリアム監督が"最後まで消される事のないイマジネーションの力"を託した様に思いました。

それは常に口当たりの良いファンタジーとは限らず、必ずしも他愛の無い妄想に終わる保証も無く、時には夢想の主以外のすべてを破滅させる程の力をも有する、というのがギリアム流のイマジネーションの解釈。そうした危険な力が複数登場し相争った本作は、だから観客のほとんどを翻弄し引きずり回し、くたくたになるまで苛んでから放り出す事になります。そうした観客に混じって映画から振り落とされまいと必死にしがみつく事は、久々にギリアム監督が存分に筆を振るう場に立ち会う幸運を噛み締める事でもあるのでした。

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Comments

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