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August 24, 2006

『スーパーマン・リターンズ』

1980年、C.リーブ主演、R.ドナー監督版と全く同じあの音楽とあのズーミングタイトルに乗って、2006年版のスーパーマンは始まります。DCコミックスのもう一方の"ヒーロー"バットマンが「誕生編」と銘打って全く新しいシリーズとして再生したのとは対照的に、スーパーマンの方は前シリーズ、それも『スーパーマンII 冒険編』の伏線やプロットをそのまま引き継いだ、純然たる"続き"として登場しました。それも前回途中で監督を降ろされたR.ドナーが当初想定していたラストシーン、惑星クリプトンの残骸を見つけたスーパーマンが一時帰郷した時点から物語を語り直すという徹底振り。前シリーズの優雅さと迫力に圧倒された世代の私には、実に嬉しい「帰還」です。

どこまでもおおらかに正義と真実とアメリカン・ウェイを追求するスーパーマンは、昨今の悩めるヒーロー達の様なダークサイドを持っていません。2重生活の苦労も無く、超人へと至る劇的な経緯も無く、民衆の迫害も受けない彼は、時にあまりにも完全無欠過ぎる為に、映画としてはドラマを生み出し難いという難問も生み出します。

B.シンガー監督はそのような彼に、克服し難い強敵と、切り開くべき難関を改めて与えました。強敵とは宿敵R.ルーサーではなく彼自身の孤独、難関とは"スーパーマンを必要としない"世界において彼の居場所を見定める事。シンガー監督は、「正義」の見極めがひどく困難な現代において、改めて「正義」を追求するというのはどういう事か、孤高のヒーローを通じて問い直そうとしている様です。

探し当てた故郷クリプトンが矢張り廃墟でしかなかった事を知り、地球に帰還したスーパーマンは、そこにも自分の居場所が無くなっている事を知らされます。古巣の新聞社は殺伐さに磨きをかけ、恋人は他の男と結婚し子供を設け、かって投獄した悪人は出所して悠々自適の生活。スーパーマンとしての活動を再開し喝采に包まれても、それは彼と「地球人との差」を際立たせるばかり。目の覚める様な活躍を続けながら、決して表情の晴れない彼の姿には、R.ドナー版で我々が目にした快活さは見られません。

彼が再び「スーパーマンらしいスーパーマン」として帰還するには、逆説的な様ですが、彼の人としての側面を再発見し再評価する必要があります。そしてそれは、彼のホームグラウンドであるメトロポリスの人々によって行われなければなりません。

シンガー監督はそれを成し遂げる為に、ほとんど反則すれすれの展開を用意します。設定や約束事にうるさいアメリカン・コミックのファンが、「スーパーマンの隠し子」の設定を受け入れるかどうかはかなりのギャンブルでしょう。シンガー監督はそのギャンブルを、R.ドナー監督版「冒険編」のプロットをまっすぐ進展させるという、誰にも文句の付けられない方法でかろうじて凌いでみせます。

同時にシンガー監督は、スーパーマンを再びメトロポリスの住人に戻す為のプロットも用意します。それはこれまでとは逆に「スーパーマンが普通の人達に救われる」ふたつの場面に結実しました。

つい先程助け出したばかりのロイス・レーンと彼女の家族によるスーパーマン救出劇は、彼がロイスを助ける場面よりもずっと力強くじっくりと描かれます。「スーパーマンが必ず助けてくれる」世界での最大のサスペンスがスーパーマン自身の危機であり、それを強調するのも順当な映画作法であることは確かですが、シンガー監督はこの場面に、そうした作劇のロジックを超えたものを込めてくれた様に思います。映画のこの部分では、スーパーマンを探して断崖の中を決死の覚悟で"飛び回る"ロイスと彼女の夫こそが、正義と真実、そして「隣人を放っておかない」アメリカン・ウェイの体現者となっているのです。

映画の終盤、メトロポリスを救う代わりに力尽き落下したスーパーマンを、メトロポリスの住人が取り囲み助け出し、夜を徹して彼の無事を祈り続けるシークェンスも同様。思えば最近の「孤高のスーパーヒーロー」を描いた映画は、例外無く孤高のヒーローが人々に迎え入れられる瞬間を用意している様です。ゴードン警視正とバットマンとの交流、地下鉄の惨事を救ったピーター・パーカーに対するニューヨーカーの優しい視点の延長上に、夜のメトロポリスで祈る人々は存在します。

"世界はスーパーマンを必要としていない"、けれども、彼等に真の親愛と献身を示してくれる隣人を、無碍に振り捨てる世界もまたありません。それは孤高のヒーローでは無く彼等と共に生きる人として、"鋼鉄の男"ではなく助けを必要とする一人の男として、メトロポリスがスーパーマンに手を差し伸べる事で、「スーパーマンの帰還」は完了した、という事なのでしょう。

それは同時に、本来ならB.シンガー監督が手がける筈だった、『X-Men』の主題を総括し、その完結編で描かれるべき主題でもあるのでした。複雑に発展し続けた『X-Men』の世界上では絵空事になってしまう「異なる種同士の強調と共闘」を、シンガー監督はよりプリミティブな『スーパーマン』の世界で実現してしまった、という事なのかもしれません。

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